ボランティア アクティビティのご紹介
神宮ライオンズクラブ 活動報告
L後藤 満 2015・2・20
2015年度訪問報告
2015年度訪問報告 2015年2月4日~10日  タイ・バンコク経由ナコンパノムーメコン河超ーラオス・カムアン県へ 今回の訪問にはLCIF委員長・山田春雄Lが特別参加頂き、2009年度にLCIF基金2万ドルの支援を足掛かりに ポンスン村に建設された小学校の視察と、新たに支援を計画している、ラオスでも最も貧しい地区の小学校パク セノン小学校の訪問が計画され、新たに加わった豊島LCも図書BOXの寄贈を行う事となりました。
  2月4日羽田からバンコクに入り翌5日バンコクより
タイの地方都市ナコンパノムまで聞きなれないノック
エアーで到着しました。
これからチャーターした車でメコン河を渡りラオスに
入国です。
再入会した細谷Lも元気に参加してもらいました
    2月4日羽田からバンコクに入り翌5日バンコクより タイの地方都市ナコンパノムまで聞きなれないノック エアーで到着しました。 これからチャーターした車でメコン河を渡りラオスに 入国です。 再入会した細谷Lも元気に参加してもらいました 



歓迎式典に出席し神宮LC中山会長、山口L、吉原L 他の方々より挨拶をいただきました。 隣は県の教育委員長。 図書館はとてもきれいに仕上がり、中には本やパソコン が配置されています。
 

各クラブ会長、県教育委員長が並んでテープカット。






神宮の鈴木秀雄L
が支援を始めた女の
子です。

図書館内部、図書の数がまだまだ不足。
新設された図書館はこれまでのラオススタイルとは思え
ないようなモダンで綺麗な建物に仕上がりました。

着飾った女の子の歓迎の踊り。
子供達にはボールペンやノート、お古のおもちゃ
などのプレゼントが手渡され、先生も子供たちも
大喜び。

この学校は2年生のカレッジ(村の教師には成れる。)と
4年生の大学があり、4年生の大学を出ると公務員の資格が
できる。
翌6日は朝からサバナケットの大学と短大の
視察にノイちゃんと中学生の女の子を連れて
行く。
ターケックから車で約2時間メコン河を下った
大きな町にある。

建設中の女子寮、とてもきれいであるが成績が
優秀でなければ入寮できない。
サバナケットの帰路新たなパクセノン村を訪問した。
    村へは川をはしけ(手動)で渡るが、4輪駆動車以外は渡れない。
また村へは約4㎞あり、今回足に自信の無い6名は村に入る
事が出来ず大変残念であった。  
村にはトラックが有ったがあらかじめトラックの用意ができていれば
全員が村に入ることが出来たはずである。
情報不足で大変残念であった。
写真ははしけから対岸に渡るメンバー達。

子供たちの前で挨拶する山田委員長。

 持参した図書BOXとスポーツセット。
 
図書BOX開け、本に飛びつき夢中になって読みだす。
 
校舎は3教室のみで、トイレ設備は無い。

教室内部は整備が必要な状態であった。
豊島ライオンズクラブがプレゼントしたスポーツセットには 直ぐに子供たちが飛びついてきた。
    図書BOXは神宮LC,中央南LC,ライオンズ日本財団から3セットが送られた。
本に普段接していない子供たちは待ちきれない様子で箱を開けるのを待っており、開けると同時に飛びついて読みだした。
パクセノン村の支援方法については、これから神宮、豊島で計画を立て検討してゆく
神宮ライオンズクラブ ラオス・カムアン県ターケーク郡ポンスン村 視察
詳細(PDF)

 2012年10月27日、28日 震災復興支援 アクティビティ 神宮LC会長 竹内 陽治 
 石巻焼きそば、十三浜ホタテとチャンチャン焼き、女川高政の笹かまぼこ
 神宮LCでは、昨年9月の表参道石巻、女川支援アクティビティに続き、5回目の震災復興支援アクティビティ を実行した。
 青山祭りと同時に開催した、神宮LC震災復興支援には、新たに石巻十三浜の漁師さん達の希望を組み 入れた、ホタテと鮭のチャンチャン焼きが加わり、3団体が秋の表参道で元気よく復興支援販売がスタート。  
 協賛金としてライオンズクラブ3R3Zの各クラブからも協力を得て、焼き台、食材、ガスなどの無償提供もでき 参加した3団体からはそれぞれ感謝の言葉が寄せられ、また食事をしていただいた方々、かまぼこを買って いただいた方々からも「美味しかった、頑張ってね」といった励ましの声を多くいただきました。  
 神宮LCでは、このようなアクティビティを継続すべく、被災地と協力しながら計画を進めてまいります。


2度蒸し緬のおいしい焼きそば造りが
始まった。臭いに誘われ早くも行列。  


石巻焼きそばアカデミーのスタッフ達、開店準備中
笑顔で当日を迎え、「さあ、頑張って売るぞ」
今回は焼きそばに加え、仙台名物の牛たんつくねが販売され
これがまた旨い。
ボランティアの立教生も元気に販売応援。


毎度おなじみの「女川名物、高政の笹かまぼこ」
われら青春!女川復興支援隊の皆様が、
元気よく販売。
10セット、20セットとまとめて買い求める常連
の方も見受けられた。 
 石巻十三浜のホタテ、つぶ貝、そして漁師さんの地元料理「チャンチャン焼き」が加わり、秋の 表参道はにぎやかな漁港の雰囲気が漂い、香ばしい臭いに誘われ次々と注文が入った。 ボランティアの「ラブ・ギャザリング」の元気な掛け声が、表参道に響き渡った。

浜名物の鮭のチャンチャン焼き、味噌味が油の乗った
鮭との絶妙な旨さを引き立てて、大好評だった。






採れたて新鮮なホタテ焼きも大好評、熱々のホタテを
美味しそうに食べる姿が多く見受けられた。



神宮ライオンズクラブのメンバー達。
ちょっと似あわないおそろいのジャンパーで、それでも
頑張りました。翌日の足腰の痛みも忘れ、次回も頑張り
ましょう。

2012年 ラオス・カンボジア・ベトナムちょっとミャンマーの旅
2012年2月10日~2月19日  東京神宮ライオンズクラブ 後藤 満
1日目 毎年恒例となった神宮LCのラオス・ポンスン村訪問の旅、今回は初参加者4名を加え、最多の11名の 視察旅行となった。 2月10日ベトナム航空でベトナムのホーチミンに到着し、乗り継ぎでカンボジアのプノンペン経由ラオス ビエンチャンというルートで当日の夜7時に無事到着した。 夕食は町で1番の高級レストラン「クワ・ラオ」に民際センターのカムヒアン所長、ジョイ、友人のプーバン を招待しにぎやかに、また驚きの料理を前にして始まった。
このレストランはASEANの時、当時の小泉首相や、秋篠宮殿下などが訪れている有名なレストランで、 チィップをはずむとバンドマスターが次からつぎに日本の曲を演奏してくれる店でもある。招待者も含め14名のにぎやかなパーティとなった。
  1人前の料理、多すぎて半分も食タべる事ができなかった人がいた。 
2日目  翌日はホテルでの朝食後、村へのお土産を積みこんでいよいよ出発。
     
   ホテルの中庭で腹ごしらえするメンバー。いよいよ長旅の出発
    この後バスにのり370Km約5時間の移動が始まった。
  子供達や村人の歓迎の中を入場するメンバー達   
    子供達は日の丸やラオス国旗そして手作りの花束を持って我々一行を出迎えてくれた。 
子供たちが整列する中を拍手されながら入場。
   


家庭訪問に訪れた竹内会長、野村L,星野L
鈴木さんと高床式の家で暮らす家族。
 豊島LCの野村Lが支援する子供達10人(1人は都合により、後から参加)
後から子供の家庭訪問をする。



 
   小学校での歓迎式典に参加したメンバー、その後東日本大震災のDVDを生徒達にPCで見せ、被害の大きさを実感してもらう。
女生徒達はその映像をみて、多くの娘が涙をながし見つめていた。
     家庭訪問で行われたバーシー(幸運を祈る式)に参加したメンバー。
ごちそう?を前に、何をお祈りしますか。
3日目  
3日目の朝、メコン川前のホテルを背景に記念写真
 
近くの僧院の前でパチリ
  翌日も学校を訪問し、神宮LCと中央南LCがそれぞれ図書BOXをプレゼント。
中にはそれぞれ約100冊の本が納められており、子供たちへの教育支援となっている。
今回で4回目の図書プレゼントで、本を入手できない村にとっては大変重要な教育プログラムとなっている。
 





  図書BOXの扉を開けると本が奇麗に並んでおり、子供達は好きな本を選んで読む事ができる。
    村の近くにある数百年~1千年前の遺跡。
検証もされておらず、保存状態もあまり良くない。
正確な検証が行われれば思いがけない発見が見つかるかも。
    村から15分の処に最近完成した国境の橋。
タイとラオスを結ぶ橋に入管はあった。
しかしその橋を渡る車は1時間に数台。
周辺の開発はしばらく時間がかかりそうである。
4日目 ビエンチャンからカンボジアのプノンペンに入る。 
   
カンボジアの桜と言われている花 
 
  プノンペンから車で約1時間、300年ほど前、日本人村があり、うどんを造っていたと言われる処から”うどん山”と呼ばれる山の上の僧院。 
     
   数百段の階段を必死に登る参加者達。
平均年齢65歳、山の階段がその少ない体力を奪います。
見学にきていたお坊さん達と一緒に記念写真。
御利益がありますように。
5日目

沙羅双樹の花
シアヌーク殿下が住む、宮殿の中庭に咲く沙羅双樹の花
プノンペンの宮殿 キリングフィールズの記念塔
6日目 ベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪問  
 
フランス統治時代に建てられた協会の前で

 戦争で使用された米軍ヘリ。
解放戦線が戦車で入場しベトナム戦争はこの大統領府で終結した。
  現在のミャンマー・ヤンゴンを行く。8日目以降3名が旧ビルマ・ミャンマーを訪問した。 
   軍事政権を率いたタンシュエ大統領が引退し、新たに民主化路線を選択したティンセイン大統領に代わり、またアウンサン・スーチーさんの軟禁が解かれ急速に新たな開国が始まった国です。
始めて訪れたヤンゴンという街は清潔できれいな街並みが続く、ビルマという歴史を感じさせ街でした。
   
宿泊した近代的なサービスのパークロイヤルホテル。 







 
街の中の家の庭先に咲くブーゲンビリア

道路に店を広げる野菜を売る人々、新鮮な野菜が豊富に並んでいた。


20階建てのサクラタワーから見たヤンゴン川と旧市街、貿易港として栄えた港も近い。




アウンサン・スーチーさんの自宅、今でも厳重な警備が行われていた。

   純金板を貼った街の中心のパゴタ(寺院)広大な敷地に数百の大小パゴタが立ち並ぶ。
   ヤンゴン郊外の学校を訪問し、これからの支援方法を検討する。
NPOと協力し、初年度は35名に対する、奨学金を実行する予定。
     
日本からの援助金で建てられた小学校、校舎はきれいであったが教材不足が目についた。
     
勉強する子供達、顔には虫よけと日焼け止の樹液を塗っている。
やはり教材は質素な物しか無い。
     2校目を訪問、ここは1階が小学校、2階が中学校が入る校舎で、木造のかなり老朽化した建物であった。

関西の立命館大学がこの学校に寄贈した本棚。
図書の数はあまり無く、不足ぎみであった。
 
ヤンゴン市内の街並、ゴミの無いきれいな街である。
ミャンマーを訪問した3名
 
ライオンズクラブ 3R3Z 東北大震災 女川・石巻応援視察ツアー報告書
 3R3Z ゾーンチェアパーソンL鈴木 克明  総務L後藤 満
   平成23年10月29,30日330-A地区3R3Zを中心とした視察団は予定通り震災 視察ツアーに出発した。
1日目   29日朝8時青山に集合し、総勢19名(現地参加者4名)は貸し切りバスに乗り、一路 仙台を目指した。  途中休憩を入れながら、2時半最初の目的地仙台空港に到着し、現地のガイドが合 流、視察がスタートした。  テレビで見た空港の様子(飛行機が津波によって流される映像)は既に残っていなか った。  但し、1階ロビーの柱に津波の到達高さ約3mの印が残されており、当時の状況を連想 させる唯一の証であった。
 既に修復され、津波の面影は無い空港ロビーを歩く参加者達
  空港を後にし、津波被害の大きかった長浜、名取の海岸を北上すると、目の前の状況は 一変する。
一見何もない雑草に覆われた平地がどこまでも続くが、良く見ると、家の基礎だけが点々と 残されていた。
 

抜け殻となったガソリンスタンド

   かつては住宅街であった荒浜地区には、唯一残された主のいなくなった家が残されていた。
   地区の面影は残された土台によって確認できたが、この近くの浜に2~3百人の遺体が漂着 したという話を聞き、姿を消した街とそこに生活していた人々の悲惨な状況が目に浮かぶ。  かつての景勝地”松島”に着く。  バスの窓越しに美しい松島の島々が見えてきた。 説明によると、松島湾では多くの島々が津波の勢いを消し、到達した2~3mの津波での 犠牲者はいなかったとの話を聞き、その地形の差における被害の違いに歴然とした。 ;
 

瑞厳寺の中にある、かつての修行僧が こもった岩窟を見て歩く。
避難場所となった瑞厳寺の前であたりを 見渡す参加者。
但しこの周辺では地盤沈下による海水の浸水被害が見受けられた。








2日目  仙台のホテルで阿久津 隆文副地区ガバナー、石巻地区のゾーンチェアパーソンL阿部 浩 HISの青木氏、飯田氏の4名が合流し8時10分に仙台を出発し、女川に向かう。
 
途中で目にした瓦礫の山。
合計2000万トンを超える瓦礫の処理は未だ解決策が見えてこない。
一部の鉄屑は中国に輸出されている。

  道中も立派な家が波により空洞になって多く残されているが、未だ手つかずの状態である。
  女川の笹かまぼこメーカー”高政”に到着し、9月のアクティビティに参加して頂いた方々と 再会し、その後女川の港に向かい震災の状況を視察する。  
かつての港はまるで原爆の後の広島を連想させる光景が広がっていた。
 

4階建てのコンクリートのビルが100m移動し、横倒しになっている。緑の部分は屋上であった処。
  4階まで波に持って行かれ空洞になったビル。
 
港を背景に荒涼たる風景に言葉を 失った。
阿久津副地区G、岩津RC、鈴木ZCそして石巻のZC阿部Lと参加者達。
 
   25mの高台から見る、女川漁港、当日この高台にいた25名の方も津波に飲み込まれ 亡くなっている。
石巻港、女川を後にし、数千人の犠牲者を出した、石巻港に向かった。
 
  石巻の海岸付近には残された家は数件残るのみで全て津波と火災で焼失した。
遠方に見える車は全て津波によって破壊された車である。
 
   同じく石巻港、壊された岸壁と山積みされた瓦礫が先の見えない復興を象徴している。
   
   津波に破壊され、その後火災に3日間焼かれた小学校、但し生徒は裏山に逃げ無事だった。
   北上川から最大の児童被害が発生した大川小学校に向かう。
 
   石巻大川小学校・破壊された破壊されたモダンな小学校の周辺には住居は無く、一層悲しみが際立つ。
 
 
慰霊碑に手を合わせる阿久津副地区G  参加者全てが焼香し、鎮魂を願った。
   
   帰路、9月に実行した石巻焼きそばアクティビティのスタッフ達と再会し、次の支援を約束。
   今回の震災視察ツアーは心に記憶を刻みこみ、忘れる事は無いでしょう。

 
ライオンズクラブ 東日本大震災被災地支援アクティビティ
 2012年9月24日、25日 青山表参道 
ライオンズクラブ330-A地区 3R3Z  ゾーンチェアパーソン L鈴木 克明  総務 L後藤 満 
宮城県 石巻と女川は今回の大震災において計り知れない被災を受け、多くの犠牲者を生んだ。
ライオンズクラブ3R3ゾーンの6クラブ(赤坂、青山、麹町、六本木、神宮、ヒルズ)は地元の青山表参道町会、商店会、赤坂消防団他の協力を得て、石巻の焼きそばアカデミー及び女川の笹かまぼこメーカー高政の方々と事前に計画を練り、また俳優の中村雅俊氏(女川出身)の心からの応援を足がかりに、約2500人の方々からの支援を届ける事ができました。
また、今後永く支援を継続するための計画を造り、ライオンズクラブのゾーンのメンバーと力を合わせて実施して行きます。 
 
 高政の笹かまぼこが24日の土曜日に700セット、25日の日曜日に800セットが宮城県女川から表参道に届けられた。販売の事前準備をするスタッフ達。


焼きそばのノボリが食欲をそそる
石巻から来た焼きそばアカデミースタッフが本場の焼きそばを焼き始めると香ばしい臭いにつられ
歩行者が足を止める
 ”がんばっぺ女川”の手ぬぐいを掲げ、1000円の笹かまぼこセットが半額の500円で販売される。
我先にとお買い得な高政の笹かまぼこを買おうと押しかけた。 
 
準備が整いいよいよ焼きそば開店、初日は約460食売る事ができた。

25日は俳優の中村雅俊氏が販売の応援に入り、笹かまぼこを買う方々の行列が長くなり、800セットが見る見る無くなって行き、予定の2時間前に完売となってしまった。
俳優の石田純一氏も急きょ応援に駆け付け
表参道は熱い雰囲気に包まれ
震災支援アクティビティは最高潮になった。
雅俊氏
石巻焼きそばを食べながら応援にも熱が入る
 
石田 純一氏を中心に高政の三嶽氏、女優の青木英実さん、ZCのL鈴木、総務のL後藤 
 
   ライオンンズメンバーと記念写真、中村氏と今後の支援活動について更に協力し継続しようと約束をし、お疲れさまでした。

 

福島県矢吹町 震災支援活動 IN 表参道   平成23年5月22日(日)
東京神宮LC 会長 後藤 満
 神宮ライオンズクラブを始めとする赤坂、青山、麹町、六本木の各クラブ更に青山表参道商店会、町内会 青山消防団は震災支援活動の第3回目として、福島県矢吹町の若者と合同で、野菜の無料配布アクティビテイを計画し、5月22日12時より実行した。
 過去2回は風評被害にあった茨城県の野菜を合計2000人以上に無料配布し、多くの賛同者から感謝の言葉と義援金を頂き、その義援金をもとに今回の矢吹町支援が決まったのである。  5月12日には事前打合せに神宮の後藤と六本木の小斉太郎氏が矢吹町に入り、野崎町長はじめ役場のスタッフ、矢吹町バンド連合の長尾代表他多くの方々と具体的な野菜の内容や数量を打合せし、22日の 本番にそなえ入念な確認を行った。

 当日は午後から雨の予報が出されていたが、幸運にも配布終了まで天気も協力してくれたようで、完全終了後、待っていたかのように強い雨が落ちてきた。
 12時の開始から約2時間で1200セット(レタス、ブロッコリー、キュウリ、玉子)を全て無事配り終える事ができ、関係スタッフ全員ホット胸をなでおろした。

 また、袋詰めから応援に駆け付けた俳優の中村雅俊さん他彼の仲間たちの協力も心強い味方であった。  これまでの3回とも中村雅俊が参加し、第4回目は彼の出身地である宮城県女川の被災者支援を検討しているところである。
野菜を満載したトラックが到着し、全員で荷降ろし完了、これから袋詰めが始まる。
ボランティアの応援により袋詰めが始まる。
レタス、ブロッコリー、キュウリ、玉子セット
配布場所横の神社に貼られた矢吹のポスター 1200袋が横の道いっぱいに並べられた
六本木ライオンズクラブの小斉太郎氏が今回の支援のいきさつを説明
野崎町長と柏村議長も参加した配布会がいよいよスタート       
野菜の配布を受けた方々から、それぞれ募金協力をして頂きました。





ボランティアの人も、もらった人も笑顔で「ありがとうございました」と気持ちの良い挨拶。
俳優の 中村 雅俊さんも応援に駆け付け、一緒に募金活動をしてくれました。
次回は中村雅俊の出身地である宮城県女川と石巻の支援を一緒に計画中。
笹かまぼこと石巻の焼きそばでの支援方法を検討中。
5月27日 日比谷公園で開催された福島フェスティバルに参加の野崎町長、中畑 清さん 神宮ライオンズの
後藤が今後の協力を約束し一緒にパチリ。


東北、太平洋沖大地震  街頭募金  2011年3月13日(日)
東京神宮LCでは、マグニチュード9の大地震の被害にあわれた方々への支援として 街頭募金を行いました。
募金金額は697,705円となりました。
また20日(日)も再度募金活動を行う予定でいます。

ラオス カムアン県ターケーク郡ポンスン村 小学校支援
東京神宮ライオンズクラブ 会長
NPO法人 民際センター 評議員  後藤 満
何もない、心が有る   ラオス
 ラオスの中部カムアン県ポンスン村はビエンチャンから360Km南に下った、メコン河流域の小さな 村である。
 最初に訪問したのは2003年の秋であった。
 小学校に通えない貧しい子供たちがいると聞き、子供たちの奨学金を支援しているNPO法人民際 センターの案内で現地を訪問した。
当時の藁ぶきの小学校
 その時の学校は、とても校舎と呼べない藁ぶきのボロ小屋で、風が吹けば飛んで行ってしまう程度 のものであった。  しかし、子供たちの笑顔ときらきら輝く瞳に、我々は、はるか昔に忘れてしまった子供のころを思い 出していた。  奨学金(年間1万円)を与えている子供に逢った時の、うれしさと僅かばかりの奨学金がこんなにも 喜んでもらえるラオスの現状を知り、その後の活動につながっていった。
奨学金支援から小学校建設支援
 その後、毎年村を訪問する事が、神宮ライオンズクラブの定例行事となったが、NPO法人民際セン ターが行っている小学校校舎建設支援を知り、支援で建てられた現地の学校を視察した。  その学校は、事故で亡くした娘の夢を両親がラオスで実現し、建てた学校であった。  その事を知り、帰国後クラブの例会で校舎建設の具体的アクティビティを計り、全員の賛同を受け 活動を開始した。
 約550万円(当時)の予算のうち、ライオンズクラブ国際協会が支援する、青少年育成アクティビ ティの基金(LCIF)に対し2万ドルの基金を取り付け、残り350万円の捻出を計画した。  神宮LCチャリティボーリングを3回開催し、さらに例会毎に”愛の巣箱”募金箱を置き、クラブ25周   年事業のアクティビティ資金を組み入れ、スタートから約2年で費用のめどできた。

 校舎の設計は日本建築学会賞を取った 加藤隆久先生に無料でお願いし、また約3Mもの高低差 が有ったグラウンドも同時に整備する事になった。

 2008年秋、計画がまとまり、訪問と合わせて現地で僧侶を呼び地鎮祭が行われた。  工事は乾季の11月~5月とし、翌年の訪問時には、引き渡しができるよう、計画が組まれた。
子供たちの出迎えを受ける訪問団
建設地鎮祭にも参加し、無事完成を祈った
2009年 校舎完成、引き渡し
 約半年の工期により、1年生~5年生(ラオスでは小学校は5年制)の教室と職員室の6室の立派な 校舎が完成した。
 また、併せて浄化槽付きのトイレが新設され、衛生面でも安心できる環境となった。
竣工式のテープカット 村長と校長、県の教育長、クラブ会長
無事完成した校舎、煉瓦と風通しの良い造りで、電気が無くとも涼しく勉強ができる。
新築完成した校舎の前で村人たちと記念写真
2011年の訪問
誰でも、何時でも読める図書ボックス(120冊入り)2箱を寄贈した。
5年生の教室で、記念写真
ラオス、ベトナム 視察 国道9号線による両国の横断と現状
2011年2月7日~14日
後藤 満
2月7日  成田ーハノイービエンチャン  ビエンチャン到着 午後5時55分
ラオスの現状
 昨年東アジアスポーツ大会がビエンチャンで開催され、首都は小さな開発ラッシュになった。
 主な競技施設は中国の無償援助で建てられ、見た目には立派な競技建物が並ぶ一画が出現した。
 今回、その施設の中心を走る国道(中国が無償で造った)を通ったが、早くも簡易舗装のアスファルト をはがし、補修工事の渋滞が発生していた。
 理由は、アスファルトの厚さが薄く、ボロボロになってしまい、車の通行に支障が起きていたとの事。
 しかし、ビエンチャンの街には以前見かけなかった新車の”ベンツ”が見受けられ、極端な貧富の差 が起きつつある事が分かる。
凱旋門から見た、ビエンチャンの中心、主な政府関係の建物が集まる場所である
2月8日
 車でビエンチャンを出発し、メコン川沿いに、360Km南のカムアン県に向かう。
 道路は国道1号線で、一般道である。
 ビエンチャンを出発し360Km走る間に一つの信号も無い道路であるが、整備は良くできており、途中 5か所ほど料金所がある。
 通行料は道路管理と維持に充てられているそうである。 たまに、小さな町や集落があるが、そこを抜けると時速100Km程度の早さは維持できる。
 昼のランチは、その小さな町のドライブイン(むき出しのイスとテーブルが道路に面した店)でする事に なった。
 実は、この道路を通る度、同じ店を利用してきたが、米の麺フォーを使った”そば”はなかなか旨く 始めての日本人にも好評であった。 ちなみに一杯35円ほどである。
 その昼食時間を入れ、約6時間でカムアン県ターケーク郡に到着した。

 このターケークにはメコン河横断道路建設が行われており、河の中には橋脚ができつつあり、取り付 け道路工事が進んでいた。
 タイのナコンパノムとターケークを繋ぐこの道路は、JICAが計画したが、工事はタイの業者が取り 日本企業は受注できなかった。
 その他にも3本ほどのメコン横断道路の計画があるそうです。
午後2時、ターケーク郡ポンソン村での小学校訪問は1年ぶりの歓迎に迎えられた。

 2月8日5時~
 ポンスン村の歓迎会から、更に下流のサバナケット県のホテルに向かう。
 村から約200Km、タイ国境の町で、横断道路がある、この町は活気があった。
 ホテル、”サバナーべガスホテル”はラオスの軍が経営するカジノホテルである。
 入口も、建物も本物ラスベガスとは比べ物にならないが、ここがラオスという最貧国とはとても思えな いたたずまいを見せていた。
 中に入ると、約1000坪ほどのフロアーがあり、タイからの観光客(バスでタイから送迎している)で 溢れかえっていた。
 中の通貨はタイバーツで、キャッシャーでの円ーバーツの交換もOK,早速1万円を両替し、ブラック ジャックのテーブルに向った。
 ブラックジャックの最小掛け金は200バーツ(600円)で、ラスベガスと違い最大掛け金が2000 バーツまでという、倍掛けをさせないシステムであり、その他のルールも多少違っていた。  本場と違い華やかさが無く、マカオのカジノと同じに、華僑の騒がしさと金に関する執着心が独特の 臭いを発散させていた。
 約30分で1万円、3500バーツをすってしまい、今夜のお遊びは終了。
 翌日朝の朝食はホテルのバイキングであったが、まるで香港の安いヤムチャ食堂の雰囲気で、華僑の 人たちのバイタリティを横目で見ながら、そそくさと後にした。
2月9日 ベトナム 入国  国道9号線
 午前9時 ホテルを出発し、ベトナムへ。
 ラオスのタイ国境の町サバナケットから国を横断すること約4時間、新たな”東西回廊”を走った。
 途中に最近発掘された、金鉱山の街を通り、そのほとんどが水田地帯(今は乾季のため作物は作って いない)をのんびりドライブ。
 道は片側1車線の立派な道ができあがっていた。
ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナムを結ぶ東西回廊  一部はかつてのホーチミンルート
 聞くところによると、ラオスにはレアメタルヤレアアースが豊富に眠っているそうで、これからの開発競争 が、中国を交えて、激しくなると思われる。
 ラオスの国境には、新しいレストランができていたが、経営はあの軍が経営する”カジノホテル”で早くも 利権構造が露骨に表れ始めていた。

 午後2時ラオス出国、そしてベトナム入国
ラオス側の出国ゲート
ベトナム入管の賄賂
 ベトナムの入管は、窓口が3か所、その前にパスポートを手にした人々がバラバラに群がっていた。
 列を作って並ぶのではなく、我先に窓口にパスポートを入れ込んでいる。
 その様子を横からうかがっていた時、目にした光景はパスポートに挟んだ現金
 露骨に現金を挟んだパスポートから入国スタンプを押していたのである。
 これが、噂に聞いていた役人の賄賂か、それにしても顔色一つ変えずに、現金を抜き取っては、横の テーブルに投げ込んでいる、係官の目は、何も見てはいないよ、とでもいうように見事な顔つきをして いたのが、なおさら底の深さを感じさせた。
 10ドル紙幣を挟み、無事?ベトナムに入国。

 ベトナムに入国したとたん、風景が変わった。
ラオスの貧しい農村風景から、一変して、豊かな田舎の家屋が並び、暮らしが楽そうなベトナムの 町が目に入ってきた。
 道路は元北ベトナムと南ベトナムの国境を流れたドンハイ川に沿って旧王国フエに向かった。  国境から車で約3時間半、古都フエに入った。

フエ城正門



フエ王国の中心の建物
ベトナムのインフラ
 ベトナムのほぼ中心の街、フエはベトナム戦争の激戦地であり、北ベトナムの攻撃により、多くの 戦死者がでた、街であるが、戦後36年が経ち、若い人たちの中には戦争の記憶が全く無い。
 但し、雑貨や衣類の中国からの影響は大きく、安い商品ではあるが雑で粗悪なものが多いと指摘 する地元の人は多かった。

 南北に長いベトナムはハノイーホーチミン間約1800Km,青森から鹿児島の距離に匹敵する。
 鉄道はフランス統治時代に創ったレール幅1Mの旧式鉄道が単線で運用されているが、本数は 1日1本で必要時間は28時間である。
 日本のODAで新幹線をという話があると聞いたが、現状の経済状態、物流、人の動きを見ると、新幹 線よりは、日本の在来線(複線)の取り入れの方が、経済効果を発揮し、また費用も軽減できるのでは ないだろうか。
 人、物はトラック、バスで動いている。 それも相当乱暴な運転で。
 高速道路が無いため、ハノイ・ホーチミン間を約く30時間かけて移動している。
 また、オートバイが多いため交通事故を起こするケースが多発しており今回も2度ほど目にした。
 費用の安い従来の日本型鉄道ができれば、人口8500万人でしかも、20~30代の働き盛りの割合 が半数いるこの国は、日本にとっても中国後の生産拠点に十分なりうる。
 ハノイ近郊の工業団地には、多くの日系企業が進出しているが、1日3交代性でフル活動している 工場がほとんどであった。
 船による物流
 ベトナムの港から香港までは2日、南シナ海に面し、多くの港を持つこの国は、江戸時代においても 焼き物や工芸品で日本と貿易をしてきた。
 東アジアの玄関口としての役割は中国との複雑な関係においても、今後なお更重要になってくる。

ハノイの橋、ハロン湾の橋
 ハノイの街中を流れるホー川(堤防を含めると川幅2Km以上)に架かる橋、ハロン湾に架かる橋 日本の援助資金でできた、立派な橋の印象が強く残った。
 但しこれまでも指摘された、コンクリート援助であり、ベトナム人の心に残る支援が見られないのが 現状である。
 きめ細かなインフラ整備や、教育支援を通し、これからの日本ーベトナムの関係強化はぜひとも必要 であり、現状を理解した政治家の活躍が求められる。
ベトナムの景勝地 ハロン湾に架かるつり橋 日本のODAで完成した。
ラオス・ポンスン村訪問
2月5日から11日まで毎年恒例のラオス・ポンスン村訪問とアジア観光の旅に行ってきました。
今回はカンボジア・アンコールワットをじっくり見学する事ができました。
また村の子供たちや元気なおばさんたちとも、再会し、また来年会いましょうと約束し、別れてきました。
最初の訪問から、早くも6年がたち、小さかった子どもたちも、上の子は中学を卒業する、年齢になり、今後の生き方が心配です。
今回、近くの街で木工所を経営する、日本人と会い、村の子供たちを働かせてもらえないか相談してきました。村には仕事がないのです。
一度始めたボランティアですが、継続してゆく事の難しさを感じています。
社会を明るくする運動 パレード
  2009718日(土)
   
   
 
小学校校舎引き渡し式 
神宮ライオンズクラブが5年越しの計画で進めてきた小学校建設が出来上がった。
平成21年5月9日 カムアン県ターケク郡ポンスン村の小学校の竣工、寄贈式が開催された。
参加者 東京神宮LC:鈴木会長、中山、永倉、竹内、後藤
東京中央南LC:山口
東京豊島LC:野村
 
昨年までの校舎  穴だらけの藁ぶき小屋の校舎でした。 ほぼ出来上がった校舎、新学期からは、この新しい校舎で
授業が始まる。
メンバーの入場 テープカットのクライマックス 
   
子供たちからお礼の合唱 校舎には電気がありません、自然の光と風が
心地よい素晴らしい建物ができました。
   
  浄化槽付きのトイレも新設された。 鈴木会長他全員で記念植樹をし、
来年の生育を楽しみに再訪する予定。 
 
   
 生徒による歓迎の踊りが披露された。 ポンスン村の学校に咲く花。 
   
旅行の後半はベトナムーホーチミン市(旧サイゴン)へ
元大統領官邸の前で記念写真
市内の中央郵便局 ホーチミンの写真が見守る
 
ベトナム戦争当時数々の事件があったホテル前 ベトコンと記念写真
下記の写真はサムネイルになっております。
クリックで大きくなります。
330-A地区東京神宮ライオンズクラブ
2008年7月19日 社会を明るくする運動パレード
ラオス奨学金支援と学校建設のアクティビティ

ラオスの小学生に対する奨学金支援と学校建設(予定)の経緯。

神宮LCのメンバーL後藤(飲食店経営)の友人が店のレジ横に募金箱を置かせてほしいと言ってきた事に始まる。
説明を聞くと、タイやラオスの貧しくて小学校に行けない子供の支援をするため奨学金の支援をしているとの事。
貯まったお金を民祭センター(NGOの名称)へ送った処、やがて子供の写真と説明書が届いた。
どうも、その子が小学校へ通うための費用として使われたらしい。

数年後、神宮LCの新たなアクティビティを模索していた折り、このラオスヘの奨学金の件が話題となり民祭センターの吉川氏と秋尾氏が例会に出席し、活動の内容を説明してもらい、その後理事会で支援が決まり現地訪問が決定された。

2005年9月22日神宮から瀧川会長、L鈴木、L後藤、板橋LCからL野村が参加し、タイのバンコク経由ラオスの視察がスタートした。
メコン川を渡し船で渡り、ラオスの村(ボンスン村)に入った処、写真でしか見た事の無い貧しい村が目に飛び込んできた。
村の中心にある藁葺き屋根の小学校に車が到着した時、そこで目にした光景は今でも忘れる事ができない。
全ての子供と先生と村じゅうの父兄が入り口両側に並び、女の子はおそらく朝摘んで来たと思われる野の花の花束を持って迎えてくれたのである。
大河メコン川の夜明けタイ側からラオス側を見る。
我々を出迎える生徒と村人。
花を摘んで花束にして、総出で歓迎してくれた。
生徒一人一人に学用品を手渡す瀧川会長。
受け取る生徒の笑顔が印象的。
藁葺き屋根で.手作りの校舎。
床は土のまま、もちろん電気もなく、教科書も3人に1冊と
いった状態である。
高床式の典型的な村の住宅。
電気の在る家もあるが、無い家もあった。
2006年9月7日2回目のラオス訪問が決まり、
中山会長L鈴木L後藤が参加した。
今回はタイ、バンコクからラオスの首都ビエンチャンに
入り陸路約300㎞を5時間走り
カムアン県ターケーク地区のボンスン村へ入った。
ビエンチャンのシンボルとして有名な黄金色の仏塔"
タートルアン"1566年当時の王セタティラートが建設を7
始めたといわれている。
校長、村長を先頭に、両側に父兄、生徒が並んで
歓迎の様子。
格子柄の布は客人の腰と肩に巻き友情を表すためのもの。
木綿製。
小学校は5年制で、女生徒は全員巻きスカート。
1年生から5年生まで全員が顔見知りのためか、仲が良い。
女生徒の遊びは日本と同じ"ゴム飛び"、男子はサッカーが中心。
1年生の教室、どの子の目もキラキラ輝いて可愛い子ばかりでした。
今回、中学進学の奨学金を受け取る事になった仮称"ギュウ"君。
両親は亡くなっており、目と耳が不自由な兄とお婆さん、
曾お婆さんの4人暮らしの家庭。
「勉強がしたい。」と言ったギュウ君・・ガンバレ
校舎の前で遊ぶ小学生達・手づくりの校舎で床は土のまま 勉強をする子供たち
今年も神宮では国際ボランティアとして
ラオスの小学生に対する奨学金支援と将来の学校建設の一環としてターケーク郡ポンソン村を訪問いたしました。
9月7日成田からタイバンコクに入り8日バンコクからラオスの首都ビエンチャンに入り、現地のNGOメンバーと顔合わせ、打合せをした後9日マイクロバスにて陸路300Kmの移動の末、夕刻、目指すターケーク郡ポンソン村に入りました。
翌10日日曜日にもかかわらずポンソン村の小学校に到着すると、なんと全小学生が列をなして歓迎する姿を見、新たな感激をした一同です。
典型的な村の住宅

「風の子会」の人たちと横浜へ
会参加者 約100名 神宮LCより参加者 L中山 進 L永井 勇 L後藤 満  平成17年11月3日
バザー
身体障害者の団体である港区社会福祉協議会「風の子会」を支援するバザーを年3回行っています。
メンバーや賛同者がバザー用品を持ち寄って、表参道交差点で販売しその売上金全額を「風の子会」に寄贈そています。
(平成14年11月17日)
小出会長が港区社会福祉協議会から表彰されました。
2002.11.17表参道にて
   身障者支援「風の子」バザー
第55回港区 ”社会を明るくする運動”パレード
クリスマス会「風の子会」のメンバーと
(平成15年12月21日)
パレード出発 青山ホンダビル
パレード到着 青山ライズスクエア
”社会を明るくする運動”の重点目標
「地域活動の推進による少年の非行防止と更生の援助」
平成17年7月16日(土)
明治神宮 清掃例会
神宮ライオンズクラブでは、年2回 明治神宮において白衣に着替えて正式参拝の後、奥の院の清掃ボランティアを行っております。
(平成14年10月23日)